片想い(1) 恋心


 真っ赤な花のようだ、と斉藤和也は思った。

 整然と並ぶデスクの二列向こう側で、支倉由紀子が同じ企画グループの一団と談笑している。彼女の上着は朱色のキャミソールで、白のパンツスーツと対比をなして艶やかに映えている。いつも原色に近い彼女の服装は、地味なオフィスにワンポイントの彩りを添えていた。

 容姿は優れて美人である。目鼻立ちのクッキリとした顔つきに青いフレームの眼鏡をかけ、聡明さが際立っている。その自己演出が嫌みでないのは、二十代後半という年齢にそぐわぬ落ち着きのせいだろう。立ち居振る舞いに気品があり、大人の女性を感じさせるのだ。その知的な雰囲気にもかかわらず、口調はざっくばらんで、時折見せる笑顔は眩しい。気さくな性格なのである。

 和也はその笑顔に見とれていたが、人目を気にして手元の仕事に戻った。談笑を続ける由紀子たちの企画グループに較べ、和也が所属する事務グループのデスクは、いつもひっそり静まりかえっている。日がなパソコンのディスプレイと睨めっ子するだけの仕事だから無理もない。二つのグループには大きな温度差があった。

 件の支倉由紀子は、企画グループの中でもリーダーを任じらている。もともと華やかな企画グループにおいて、彼女は一層華やかな存在感を放っている。容姿の美しさと人当たりの良い性格に加え、周りをぐいぐいと引っ張る姉御肌なのだ。どんな集団の中でも自然と中心人物に収まるタイプである。社内社外を問わず信頼が厚いのも不思議ではなかった。

(はあ・・)

 和也はパソコンのディスプレイをじっと見つめ溜息を吐いた。

 ほんのデスク二列分の距離に過ぎないが、自分がどれほど支倉由紀子から遠い存在か、思わずにはいられなかった。

 もし自分が企画グループに所属していれば、あんな風に由紀子と談笑していられたのだろうか・・。しかしそんな空想は、かえって和也を惨めな気持ちにさせるだけだった。口下手で人付き合いの苦手な和也が、あの活気溢れる集団に溶け込めるはずが無い。仕事以前に人間性が折り合わないだろう。

(自分には地味なデスクワークがお似合いだ)

 自嘲気味に呟き、和也は肩を落とした。遠い談笑の声を懸命にシャットアウトして、仕事に集中するのが精一杯だった。和也の毎日はこうした悲観的気分に流され、過ぎていく。

 だがある日、和也は幸運にも支倉由紀子と会話する機会を得た。

 何のことはない、社内の歓送迎会でたまたま、支倉由紀子の近くに座ったのだ。小心者の和也は話しかける事に躊躇したが、由紀子は場を和ませようとして、自分から和也に話しかけて来た。結果、五分程度の会話だったが、二人きりで言葉を交わす機会を得たという訳だ。

「斉藤くんはいつも仕事熱心だよね。ずっと座りっぱなしだから、疲れるでしょう?私は外回りが多いし、早く打ち合わせが終われば喫茶店に寄り道したり・・あ、これ部長には内緒ね?フフ」

 悪戯っぽく笑顔を浮かべた由紀子に見とれて、和也は黙って頷いた。それまでは由紀子の事を、TVタレントのように遠い存在に感じていたが、息のかかる距離で由紀子の笑顔に触れた事で、一人の女性として本格的に恋心が芽生え始めた。

 しかし歓送迎会の翌週からは、またいつもと同じ毎日の繰り返しだった。和也としては、歓送迎会を通じて由紀子との距離が縮まったのでは・・と期待しないではなかった。しかし現実的に考えて、たかが五分間の会話で男女が親密さを増す訳もない。支倉由紀子と接触のない日常に戻っただけだった。

 その一方で和也の気持ちは、日増しに膨らむばかりだった。何気なく耳に入る由紀子の声、目の前を通り過ぎる由紀子の姿、ちょっとした由紀子の変化も、和也は気に留めるようになった。そして一つ気付いた事があった。

 それは、つい数ヶ月前に企画グループへ配属されて来た草間透という社員の事だ。草間も企画グループに所属するだけあって、口達者で人付き合いに長けた人物である。それだけに止まらず、リーダー的な手際も発揮していた。支倉由紀子とは日々、丁々発止のやりとりを繰り広げ、ここ数ヶ月で由紀子ともっとも親しく言葉を交わしている。誰かが二人の会話を聞いて「まるで夫婦漫才だね」と呟き、一同がドッと笑う一幕もあった。

 それは、和也にとって面白い事ではなかった。草間と由紀子が、仕事上の間柄とはいえ、まるで恋人同士のように分け隔てなく意思疎通を図っているのだ。三年以上も由紀子と同じフロアに居ながら口も利けない和也からすれば、嫉妬の対象でしかない。だが、事はそれだけに止まらない。

 由紀子は普段から一人で昼食を済ませるのが常だった。業務時間の外は、彼女は基本的に一人行動を基本としているのだ。業務に関しては周囲に怠りなくフォローを入れるが、必要以上に他人と馴れ合わない。そのサバサバした性格が男性的で「姉御肌」と言うべき雰囲気を醸し出していた。それもまた由紀子の魅力だった。

 そんな由紀子が、いつの頃からか草間と二人で昼食を摂るようになった。二人揃って予定表に「昼食」と書き残し、雑談をしながらオフィスを出て行く。そんな光景を和也は何度も目撃していた。

 単なる仕事の延長で昼食を共にしているだけかも知れない。仮にそうだとしても、一人行動を常とする由紀子が、草間となら業務時間外でも共に行動したい、と考えている事は確かだ。仕事仲間以上の親密さを、草間に感じているに違いなかった。であれば、どこまでの親密さなのか。単なる友情に過ぎないのか。他の社員が見ている前で、堂々と二人連れ添って出て行くからには、疚しさなど無いのだろう。だがそれはどういう意味で「疚しくない」のか。

 二人が肩を並べてオフィスを出て行く度に、和也は嫉妬に身を焼きながら自問自答するのが精一杯だった。由紀子への恋心が草間への嫉妬と疑念を生む。それらを胸に渦巻かせたまま、黙ってパソコンのディスプレイを見つめ続けるしか和也には出来ない。

 あまりに胸苦しくなると、歓送迎会で見た由紀子の笑顔を思い出す事があった。あの悪戯っぽい笑顔が和也にとっては宝物だったのだ。自分が由紀子と付き合えないにしても、由紀子には誰の物にもなって欲しくはなかった。

 そんなヤキモキした気持ちで過ごしていた、ある夜の事だ。

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