生ぬるい風に頬を撫でられて、早苗はぼんやりと目を開けた。
視界の先には空が晴れ渡り、その周りを樹木の枝が覆っている。何度か目をしばたたかせる内に、自分が木陰で横たわっている事に気付いた。
(あれ・・私は何をしてたんだっけ・・?)
寝ぼけ眼で記憶をたどろうとして、すぐさま悪夢が甦った。
(!!・・そうだ・・倒立をしていて・・)
それ以上は、思い出すのも苦痛だった。池下順子に3分間の倒立を命じられ、「汗拭き」と称する刺激を陰部に加えられた末、耐えきれず失神してしまったのだ。
それもただ失神したのではない。順子の巧妙な指遣いが、早苗を官能へと追い込んだ。その結果、我を忘れて恍惚感に呑み込まれ、全員が見守る中で女体の反応を晒け出してしまったのだ。自分が演じた痴態は、まさに悪夢としか言いようがなかった。
失神後の事は一切覚えていない。木陰に横たわっている以上、誰かがここまで運んでくれたのは間違いないが・・。
「あら、早苗ちゃん、目が覚めたのね?」
空を仰ぐ早苗の視界に、池下順子が顔を覗かせた。早苗はハッと息を呑んだ。
順子はいつになく柔和な笑みを浮かべている。しかし早苗の脳裏に浮かぶのは、おぞましい記憶だけだ。どう反応して良いか分からない。
「ごめんね、早苗ちゃん、私の判断ミスだったわ」
顔をこわばらせる早苗に、順子は労わりの言葉を口にした。
「吉田くんと中島くんが足を補助していたし、3分ぐらいなら倒立が続けられると思ってたの。まさか貧血を起こすなんて。私の目論見が甘かったわ」
「・・」
「きっと、山道を歩いた時の疲れも残ってたんでしょうね。そんな状態で無理に倒立をし続けたら、貧血が起きるのは当たり前よね。本当にごめんなさい」
「あ・・いえ・・」
平身低頭する順子を見て、早苗はキョトンとした表情を浮かべた。
予想外の言葉だった。痴態を晒した自分にどんな侮蔑を向けられるのか、戦々恐々としていたのだ。その矢先だけに、肩すかしを食らった気分だった。
順子が何度も繰り返した「貧血」という言葉が不思議に響く。順子はそれが、早苗の失神原因だと考えているようなのだ。まさか・・と晴天の霹靂に打たれた。
(もしかして・・気づかれていないの?)
にわかには信じられない。自分はあの時、確かに順子の指遣いに反応して、喘ぎ声を洩らしてしまったのだ。記憶に残っている以上、否定はできない。だが順子の態度を見る限り、そのようには受け取られていないらしい。
冷静に頭を巡らせると、ごく単純な答えが浮かんできた。つまり、自分が思うほど大きな声を出さなかったのではないか?という事だ。
何しろ早苗はあの時、朦朧とした意識状態だった。そんな中で発した声は、自分にはハッキリ聞こえても、他人の耳に届いたかどうか定かではない。傍目から見れば「早苗が急に息を荒くして倒れた」程度にしか思われなかったのではないか・・。
(そうかも知れない・・順子先輩には気づかれなかったのかも・・)
まだハッキリと確信には至らないが、目の前でひたすら低姿勢な順子を見ると、そう信じるのも間違いではない気がした。ここはあえて話を合わせよう、と早苗は考えた。
「・・こちらこそ、体が弱い事を最初にお伝えせずに、すみませんでした」
「ううん、いいのよ。お互い様だから。早苗ちゃんは普段から貧血気味なのかしら?」
「いえ・・でも、とにかく、今日はもう大丈夫だと思います」
「そう、良かったわ」
優しく気遣う順子に、早苗は強い確信を得た。やはり気づかれていないのだ。
憂鬱の淵に沈んでいた気持ちが、一転して、安堵感へと変わっていく。
「じゃあ、オリエンテーリングの続きをするから、一緒に来て」
「はい!」
順子に呼びかけられて、早苗は力のこもった声で返答した。差し伸べられた手を握り、ゆっくり起き上がろうとする。本来の自信に溢れた気持ちが徐々に甦りつつあった。
だが半身まで起こした時、目に入ってきた光景が、一瞬で早苗の動きを凍りつかせた。
視界に入った自分自身の姿が予想外だったのだ。
(え・・この格好・・)
早苗が上半身にまとっているのは、ライトブルーのブラジャーだけだった。
テニスウェアを剥ぎ取られたまま、半裸の状態で寝かされていたのだ。カップからこぼれ落ちそうなバストが木漏れ日を直に受け、白く照り映えている。早苗は恥ずかしさで、胸元から目を背けた。
だが下半身に目をやると、それを凌ぐ信じられない状態だった。
何枚かのガムテープが下腹部から股下にかけて貼り付けられている。ただそれだけだった。下着も何もつけていない。局部の一帯だけを覆い隠すように、ガムテープが目張りされているのだ。
しかもガムテープは早苗の局部を鮮明にかたどっており、なだらかな土手の形状も、縦に伸びる亀裂の陰影も、あからさまに見て取れた。間接的に形だけ浮かび上がる様子が、かえって卑猥な印象を与えていた。
恐る恐る腰を浮かせ、股下のガムテープの行方を指先で追ってみる。ガムテープは臀部に回り込み、双丘の深い谷間に潜った後、その一番奥まった場所で途絶えていた。
指先でその地点をなぞりながら、ある事に気付いて、早苗は慌てて指を離した。その場所は、排泄を目的とする穴の真上だったのだ。決して人に見せてはならない部分まで、当然のようにガムテープで目張りされている・・その事実が、途方もない屈辱感を突きつける。
それ以上、臀部のどこを探ろうと、剥き出しの尻の感触しか伝わって来ない。ガムテープ以上の手当が施されていないのは明らかだった。
あまりの状況に早苗は愕然とした。
「どうしたの?早く起きてよ?」
「あ、あの・・これは・・ガムテープが・・」
「ああそれ?だって早苗ちゃん、倒立の途中で失神しちゃったでしょ?あの状況でアソコを丸出しのまま放置する訳にも行かないじゃない。応急処置としては気が利いてると思うけど?」
「そんな・・」
「もちろんガムテープを貼る作業は私一人でやったし、黒坂くんや1年生の二人にはずっと席を外してもらってたから、安心していいわよ」
生ぬるい微笑をたたえて順子は言った。しかし早苗に納得がいく訳がない。
「か、介抱していただいた事は、すごく、感謝しています。でも・・普通に下着を着せていただくだけでも・・」
「え?それは無理よ。だって私が用意してきた下着はサイズが小さかったじゃない?あんなのまた着せたら、キツく締め付けて余計に貧血になるもの。早苗ちゃんのジャージや下着も洗ったまま乾いてないし、他に着せられるものなんて何も無いでしょ。どの道、こうするしかなかったと思うけど?」
順子は悪びれもせず言ってのけた。
屁理屈と言えばそれまでだが、文句の付けづらい言い分ではあった。裸で放置されるのは論外だし、他に着られそうな衣類が残っていない以上、ガムテームでも貼って応急処置するより外にない・・そう言い抜けられれば、確かに、良い代替案もすぐには思い浮かばない。
しかしそうであっても、この姿のままオリエンテーリングを続行する事は不可能だ。
困り果てた早苗に、順子は自分の肩にかけていた手拭いタオルを差し出した。
「仕方ないわね。このタオルでも腰に巻いておいたらいいじゃない」
「・・」
それは何の変哲もない安物の手拭いタオルだった。これを使えば腰回りは隠せるかも知れないが、所詮それだけの役にしか立たないだろう。上半身は相変わらずブラジャー1枚だし、半裸の状況は変わらないのだ。手渡されたタオルを手にして早苗は考え込んだ。
だが落ち着いて考える暇もなく、順子が咳払いして口を開いた。
「あのさ、あんまり言いたくなかったけど、早苗ちゃんが失神してからもう1時間も経ってるの。その間、私たちのチームだけオリエンテーリングを中断してるのよ。予定が全然こなせてないの。もうこれ以上、無駄な時間は使いたくないわけ。分かるわよね?」
「は、はい・・」
突然、順子に強くたしなめられて、早苗はうなだれた。さらに叱責は続く。
「元はと言えば早苗ちゃんが勝手に失神した事が原因なんだから、せめてテキパキ行動してくれないかな?自分一人がサボってても大丈夫とか思ってない?」
「そ、そんなこと、思ってません・・」
「あらそう。もし私たちのチームがオリエンテーリングで最下位だったら、白い目で見られるのは監督責任者の私なのよ?もしかして私に恥をかかせるつもりで、ワザと進行を遅らせてるんじゃないの?」
「いえ、そ、そんな積もりは・・」
「じゃあ、早くしてよね」
順子にキツく睨まれると、それ以上、考え込んでいる猶予はなかった。
緊張した面持ちで、早苗は立ち上がった。
順子から手渡されたタオルを腰に巻き付けてみる。案の定、股下ギリギリまでしか隠れなかった。少しでも太ももを上げ下げすれば、脚の付け根までハッキリ見えてしまうだろう。それでも腰回りを覆った安心感が、早苗を少しだけ勇気づけた。
(ずっとこのままじゃないし、ほんの少しだけ我慢すればいいのよ)
唯一の希望は、今日の天気が快晴という点だった。ジャージが乾くまでさして時間はかからないだろう。服が乾いたら、さっさと着てしまえばいいのだ。早苗はそう自分に言い聞かせた。
早苗の準備が整ったのを見て、順子は無言で木陰の外へと足を踏み出した。早苗も俯きがちに後を追う。木陰から一歩出ると、眩しい日差しが早苗の素肌をまばゆく照らした。
言いようのない心細さが早苗の心中に兆したが、今は黙って順子の後を追うしかなかった。