新人研修合宿 オリエンテーリング(9) 自己紹介


「みんな、お待たせ」

 河原で談笑していた黒坂、吉田、中島の三人は、背後から順子に声を掛けられて振り返った。一時間近く暇潰ししているため、三人とも退屈が染みついた顔つきである。

 だが振り返りざまに、目の色が変わった。

「へえ・・」

 誰ともなく感嘆の声を洩らした。順子の隣で気まずそうに佇む早苗の姿に、三人の目は釘付けになった。上半身はサイズの小さな紐ブラジャーだけ、下半身も腰に手拭いタオルを巻いただけという、普通ではありえない姿なのだ。

 三人はつい一時間ほど前、倒立する早苗の半裸を拝んだばかりである。絶頂に上り詰めるシーンすら目撃した。それでも彼らは、目の前で恥ずかしそうに立ち尽くす早苗に、あらためて心を奪われざるを得なかった。

 倒立時に早苗が半裸になったのは、順子が勝手にテニスウェアを脱がせたからだ。早苗本人の意志ではなく、強いられた結果だった。両手両足が使えない不自由な状況だったのだ。

 しかし今、順子に連れられて戻って来た早苗は、もはや不自由な状況ではない。少なくとも自分の意志でここまで歩いてきたのだろう。にも関わらず破廉恥な姿を晒しているのだ。まるで早苗が突然、露出願望に目覚めたような錯覚すら起こさせた。

「早苗ちゃん、貧血はもう大丈夫?」
「オリエンテーリングは続けられるの?」

 吉田と中島が好奇心に目を輝かせて、早苗に話しかける。

 もちろん二人とも早苗の失神原因が貧血だとは思っていない。だが順子からは貧血で押し通すように言い含められていた。二人にとって事実はどうでもよいのだ。このままオリエンテーリングが続いて面白い物が見られさえすれば、順子の指図に黙々と従うだけだった。

 そんな同期二人の不埒な思いなど知るよしもなく、早苗はぎこちなく返事をした。

「はい、あの・・大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました」

 早苗は少し顔を上げたが、すぐに顔を赤くして、また俯いた。

 右手で下腹部を隠し、左腕全体で豊かなバストをじっと押さえる。その二ヶ所に男性たちの視線が集中している事を嫌でも感じた。この姿で人前に出ようと決意したものの、こうしてあからさまな視線を浴び続けると、強い意志も呆気なく崩れてしまう。

「じゃあ、早苗ちゃんも戻って来たことだし、早速オリエンテーリングを再開しましょうか。えーと、1年生はここに並んで」

 この状況を傍観していた順子が、おもむろに口を開いた。

 吉田、中島、早苗の1年生社員三人は、順子の指示に従って横並びに整列した。その正面に順子と黒坂が並び立つ。早苗の正面に立った黒坂は、気もそぞろに早苗の全身を視姦していた。その舐め回す視線が不快だったが、早苗はあえて意識しないよう努めた。

 咳払いをして順子が話し始める。

「私たち営業課の従業員は、お客様と直接顔を合わせる立場にあります。その時に一番大事なのは、第一印象です。つまり、初対面でどれだけ相手に気に入ってもらえるかが、その後の交渉にとても大きく影響します」

 順子の話は、オリエンテーリングとは無関係な内容だった。

 だがどういう意図にせよ、ビジネスにまつわる話題なら聞いておいて損は無い。仕事熱心な早苗はそう素直に受け取り、耳を傾けることにした。

 話術の巧みさもあり、順子のレクチャーは遅滞なく進んでいった。「人の好悪は第一印象で決まる」というどこかで聞いたような話が、数分に渡って続いた。

「簡単に言うと、初対面で上手に自己紹介できるかどうかが、キーポイントになって来ます。そこで良い印象を与えられなければ、後々どんなに挽回しようとも、ビジネスチャンスの5割以上がすでに失われてしまう訳です。そこで・・」

 一呼吸おき、順子は1年生社員三人を順番に見つめた。勿体ぶった調子で続ける。

「せっかくこうして時間があることだし、これからみんなに一人ずつ自己紹介をしてもらいます。それに対して皆でダメ出しをして、自己紹介スキルの腕を磨いてもらいたいと思います」

 順子が言い終えるなり、早苗は得心した。要するにオリエンテーリングの場を借りたビジネス研修なのだ。長々とした順子のレクチャーは、その前振りだった訳である。

 しかし早苗が納得する一方で、吉田と中島はいかにも困惑した表情を浮かべていた。なにしろ二人とも、まともな営業活動の経験もなく、ごく一般的なビジネスマナーすら身についていないのだ。下手な自己紹介をして恥をかくのが目に見えている。乗り気でないのは当然だった。

 その点、早苗は普段から上司に付き添って、他社との打ち合わせにも積極的に顔を出している。自己紹介も幾度となく繰り返しているから、普段通りに振る舞えばさして難しくないはずだ。

 吉田や中島には悪いが、自分にとって容易な研修である事に、早苗は胸を撫で下ろした。

「じゃあ、まず吉田くんからね」
「あ、はい」

 最初に名指しされた吉田は、視線を泳がせながら渋々に喋り始めようとした。その時、黒坂がおもむろにビデオカメラを取り出して、吉田へレンズを向けた。

「・・え?撮影するんですか?」

 早苗が驚きの声を上げる。黒坂はさも当然そうに頷いた。

「だって研修の様子はずっと撮っておかないと、いつどんな事故が起きるか分からないだろ?何か起きた時の記録が必要だって話、前にしたよね?」
「で、でも、自己紹介するだけですよね?事故なんて・・」
「さっきの準備運動だって、まさか早苗ちゃんが倒れるとは誰も思ってなかったじゃん。いい教訓になったから、何をやるにも撮影しといた方がいいと思ってね。ですよね、順子先輩?」

 同意を求めるように黒坂が順子をチラリと見た。順子は無言で頷く。

 倒立運動の前例を引き合いに出されると、早苗には食い下がる事が出来なかった。仕方なく口をつぐんだものの、この半裸同然の姿をビデオ撮影されるのには、当然、抵抗がある。上向きかけた気持ちに釘を刺された気分だった。

 気落ちする早苗をよそに、吉田が自己紹介を始めた。

 だがその内容はおよそビジネスとは無関係なものだった。氏名と年齢を告げた後、なぜか趣味であるパチンコの戦績を披露して、あっさり口を閉ざした。業務については一言も触れておらず、いかにもダメ出しの素材に相応しい内容だった。

 しかし順子はこれといった反応もせず、引き続き中島を指名した。

 満を持して中島は喋り始めたが、内容は吉田と大同小異だった。しかも声が小さくて聞きづらく、たまに一人で薄ら笑いを浮かべるのが不気味に映った。もし相手が本物の顧客であれば、第一印象は間違いなく最悪だろう。

 二人の自己紹介が終わり、しばらく間があって、順子は深く溜息をついた。

「・・正直、二人とも基本が出来てないわね。言葉遣いもそうだし、話のピントがズレてるわ。まずお手本を見せてからの方が良かったかもね」

 順子に呆れられて、吉田と中島はバツの悪そうな顔をした。

「じゃあ、これから早苗ちゃんにお手本を見せてもらいましょう。早苗ちゃんは営業経験が豊富だから、自己紹介もきっと上手なはずよ。二人ともじっくり見ててあげて」

 そう言うなり、順子は早苗を見つめた。自己紹介を始めろという合図だ。

 待ち構えていたように、黒坂がビデオカメラを早苗に向けた。そのレンズの先にあるのは勿論、陽光の下に晒け出された早苗の瑞々しい肢体である。

(イ、イヤ・・)

 思わず両腕をブラジャーの前で交差させ、早苗は身を縮こませた。すぐさま順子が声を上げる。

「ちょっと早苗ちゃん、お客様の前でそんな姿勢で自己紹介なんてしないでしょ?真面目にやってよ。吉田くんと中島くんにお手本を示して欲しいんだから」
「は、はい・・」

 順子に叱られ、早苗は嫌々ながら両腕を下ろした。普段通りに背筋を伸ばし、気をつけの体勢を取る。当然、遮るものが無くなったブラジャーは、重量感のある膨らみをそのまま、ビデオカメラの前に晒け出した。

 熟しかけの果実のように張り詰めた乳房が、ブラジャーの布地を精一杯に押し上げている。たっぷりとした量感ながらバストラインは釣り鐘状の美しさを保ち、柔らかな弾力を充分に感じさせた。

 その一方、腰回りを包むタオルからムッチリとした太ももが伸び、健康的な色気を漂わせている。この機会を逃すまいと、黒坂は早苗の全身を上から下まで隈無く映像に収めていった。

「え・・営業課所属の谷村早苗と申します。本年、営業課に配属されたばかりの新人です。主な担当業務は、弊社の主要な取引先であるA商事との渉外担当補助として・・」

 ビデオカメラを気にしながらも、早苗は落ち着いた口調で、普段通りの自己紹介に専念した。淀みなく流れる言葉は説得力があり、声にも力が漲っている。吉田や中島とは較べ物にならないほど秀逸な自己紹介だった。

 一通り話し終えると、「以上です」と締めの言葉を添え、早苗は口を閉ざした。頭の中で準備していたシナリオはほぼ消化できていた。まずまず上手くやれたという自信がある。

 だが、早苗が自己紹介を終えた後も、順子は何か思い悩むように黙っていた。

(どうしたんだろう・・早く終わらせて欲しいのに・・)

 順子のリアクションが無いため、ビデオ撮影は続行されている。早苗はそれが気が気でないのだ。しばらくして順子は言った。

「・・うーん、確かに上手いんだけど、ちょっと堅苦し過ぎない?」
「え・・そうですか・・?」
「多分、早苗ちゃんが普段相手にしているお客様って、年配の方が多いと思うのよね」

 確かにその通りだった。年配の上司に連れられて客先へ赴くため、客側にも相応の人物が出てくる。親子ほど年齢が離れた相手だと、自然と堅い挨拶にならざるを得ないのだ。

「はい、確かに・・」
「それにどちらかというと、お客様の肩書きも立派な方が多いでしょう?そういうお客様はセオリー通りの挨拶を重んじるものなのよ。でも、型どおりの挨拶で通じる分、あまり工夫する余地が無いから、惰性的になってるんじゃない?」
「・・あ、はい・・」

 順子の指摘は決して的外れではなかった。ある意味、定石通りの挨拶は頭を使わない分、手抜きの側面もある。それは早苗本人も少し気にしていた。

「もっと自分の殻を破ってみる必要がありそうね」
「殻を破る・・ですか?」
「そう。営業職はどんな相手でも笑顔で話が出来なきゃいけないし、場合によっては恥を捨てなきゃならない時もあるのよ。早苗ちゃんはそういう状況に遭遇した事がないから、まだ恥を捨て切れてないようね。その点を考慮してもう一度、自己紹介をしてくれるかな?」

 順子の言わんとする事はそれなりに理解できた。だが、具体的にどう自己紹介すれば「殻を破る」事になるのか、見当がつかない。もう少し口調を柔らかくしてみようか・・などと考えるのが早苗には精一杯だった。

 すると、傍らで話を聞いていた吉田が、とんでもない提案を口にした。

「恥を捨てるんなら、早苗ちゃんのスリーサイズでも言ってみたら?」
「あー、確かにそれは恥を捨てるにはいいかもな」

 中島が即座に賛同する。下品な茶化しに憤慨して早苗は声を荒げた。

「な、何言ってるの、吉田くん、中島くん!」
「あはは。でもそれ、理に適ってるかもね」

 早苗の抗議を打ち消すように、順子が冷静に呟く。

 耳を疑った早苗は、あわてて順子を振り返った。しかし順子は平然とした表情を浮かべ、間髪入れずに指示を出した。

「じゃあ自己紹介にスリーサイズを交えてみて。はい、スタート」

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