新人研修合宿 オリエンテーリング(10) 告白


「はい、スタート」

 順子の指示に、黒坂がビデオカメラを構え直す。だが困惑した早苗はどうして良いか分からず、その場でうろたえるばかりだった。

「どうしたの?早く始めて?」
「ス、スリーサイズなんて、言えません・・」
「言えませんって、それをあえて言うのが、殻を破るって事でしょう?」
「でも・・」

 口ごもった早苗を、順子はキツく睨み付けた。

「あのね、誰も早苗ちゃんのスリーサイズなんて知りたいわけじゃないの。訓練として仕方なくやってるのよ。そうやって恥ずかしがってる所が堅苦しいって言ってるわけ。早苗ちゃんにビジネスマンとして成長して欲しいから、あえてこういう課題を出してるって分からない?」
 
 厳しく叱責されて、早苗はうなだれた。これがビジネス研修の一環であるなら、順子の言うことは一々正論なのだ。躊躇する自分の方が間違っているのか・・。

「それじゃあもう一度ね。はい、スタート」

 一方的に合図を出されて、早苗はビデオカメラの前で立ち往生した。だが順子の厳しい視線に晒されると、そのまま沈黙を続ける訳にも行かず、ついに早苗は口を開いた。

「わ、私は営業課所属の谷村早苗です。昨年・・営業課に配属されたばかりの新入社員です・・」

 そこまで言った時、順子がわざとらしく咳払いした。このタイミングでスリーサイズを口にしろ、と指示しているのだ。早苗は嫌々ながら覚悟を決めるしかなかった。

「私の・・あの・・ス、スリーサイズは、バ・・バストが・・86センチ」
「へーすごい、早苗ちゃんってやっぱり巨乳なんだね」

 吉田が全員に聞こえる声で感想を漏らした。順子、黒坂、中島の三人が揃って失笑する。だが一人早苗だけは、下品な言葉に嫌悪感を滲ませていた。それでも必死に堪えて、屈辱の台詞を続ける。

「ウエストは、58センチ、ヒ・・ヒップは84センチ・・です」

 やっと言い終えた早苗は、恥ずかしさで消えてしまいたい気分だった。何とか平常心を保ち、そのまま通常の自己紹介に移ろうとしたが、またもや吉田が合いの手を入れてきた。

「バスト86センチって、Cカップぐらい?」

 あまりに品が無く、場所柄をわきまえない質問だった。早苗は無視して自己紹介を続けようとしたが、順子がそれを咎めるように口を挟んだ。

「ちょっと早苗ちゃん、お客様に質問されたら答えるのが当たり前でしょう?」
「え・・で、でも、こんな質問は・・」
「これは自己紹介のシミュレーションなのよ?スリーサイズを伝えた以上、それに対して何らかのリアクションが返って来るのは当然でしょ。お客様からの質問に適切に答えるのも自己紹介の内よ。早く答えてあげて」

 順子の理屈はすんなりと納得できるものではなかった。吉田の質問はどう考えても単なる助平心なのだ。どうして答える必要があるのか・・。不満を抱く早苗だったが、これを研修の一環と考える限りは、抗弁の余地がなかった。早苗は消極的な気持ちで渋々答えた。

「あの・・Cカップではありません・・」
「じゃあ何カップなんですか?」

 調子に乗った吉田が顧客口調で訊ねて来る。早苗はキッと睨み付けたが、この質問にも結局、答えない訳にはいかなかった。顔が火照るのを感じながら早苗は呟いた。

「カ、カップサイズは・・ディ、Dです」
「86センチのDカップとは、すごい発育ですね。ぜひ弊社とご契約をお願いします」

 悪ふざけする吉田に、一同がドッと笑い声を上げた。自らの胸囲を揶揄された恥ずかしさに、早苗は耳まで真っ赤にして俯いた。

 するとまた順子が口を差し挟んだ。

「ほら、そうやって下を向かないの。ちゃんとカメラ目線を続けなさい。自己紹介なんだから笑顔も忘れないでね。じゃあ最初からもう一度、スリーサイズとカップサイズを入れて自己紹介して」

 その結果、早苗は屈辱的な自己紹介を初めからやり直す羽目になった。

 シンとした中で早苗が喋り始めると、一同が固唾を呑んで見守った。社内きっての清純派である谷村早苗が、半裸姿でぎこちない笑顔を浮かべ、自らのスリーサイズとカップサイズを赤裸々に告白しているのだ。怪しげなイメージビデオと錯覚するような光景だった。

 だがまたしても、その自己紹介の途中で邪魔が入った。

 先ほどの吉田の質問に触発されたのか、中島が挙手したのだ。早苗は嫌な予感を覚えたが、質問されれば答えざるを得ない。

「な、何でしょうか・・?」
「早苗ちゃんは今、彼氏がいるんですか?」

 全く自己紹介とは関係のない質問だった。また悪ふざけだ。早苗は怒りを感じたが、順子の手前、無視する訳にもいかなかった。

「・・いません」
「じゃあ過去に付き合った人数を教えてください」

 間髪入れず中島が畳みかける。ストレートな気質の吉田とは違い、陰に籠もり、まとわりつく嫌らしさが中島にはあった。早苗は我慢ならず、言葉に怒気を滲ませた。

「そんな事、答える必要ありません!」
「ちょっと早苗ちゃん!お客様にそんな答え方するの?非常識なんじゃない!?」

 横から順子が厳しく叱りつける。

(非常識なのは中島くんの質問なのに・・)

 心の内では不満を漏らしつつも、順子に咎め立てされると、盾突く訳にはいかなかった。不承不承に早苗は態度を改めた。

「中島くん、失礼な態度を取りすみませんでした」
「それはいいけど、早苗ちゃんが過去に何人の男と付き合ったのか、早く教えてください」

 しつこく中島は訊ねてくる。

 今度は怒鳴りつける訳にもいかず、早苗は口ごもった。

 そもそも、すぐ答えられないのには訳があった。人数を言いたくないのではなく、言えないのだ。なにしろ早苗は、今まで一度も男性と付き合った経験が無い。当然、初体験すら済ませていなかった。付き合った人数など答えられるはずがないのだ。

 社内では先輩や同期から頼りにされる早苗が、実は未だに男性経験も無い「子供」だと知れたら、尊敬の眼差しは一変して、嘲笑されるかも知れない。そうでなくとも、この年齢で性体験が無いのは一種のコンプレックスだった。絶対に他人に知られたくないのだ。

「早く答えてください。何人ですか?覚えてないくらい沢山いるの?」
「ち、違います・・」

 なかなか答えない早苗を、三人の男性メンバー達は期待を込めて見つめている。

 だが順子だけは、そもそも早苗に男性経験がない事を見抜いていた。これまで見せたウブな反応や、普段の生真面目な態度も、コンプレックスの裏返しと考えれば納得がいくからだ。

 順子は意地悪く微笑んで、早苗にアドバイスを送った。

「早苗ちゃん、こういう時こそ嘘をついちゃダメよ。お客様には真摯に接しないと嘘は見抜かれるからね。特に早苗ちゃんは嘘をついてもすぐ顔に出るし、誤魔化そうなんて思わないこと」

 その台詞は勿論、早苗を追い詰めるための罠だった。もともと嘘をつく事が苦手な早苗だけに、先回りして指摘されると、余計に逃げ口上が打てなくなる。案の定、早苗の顔に狼狽の色が浮かんだ。完全に退路を断たれたのだ。

 長い沈黙が訪れ、しばらくは全員が静観を守った。

 しかし質問者の中島は、この沈黙の意味に遅まきながら気づき始めた。

「あのさ、もしかして早苗ちゃんって・・」

 言いながら徐々に薄笑いを浮かべていく。

「・・今まで男と付き合ったことないの?」

 決定的な質問だった。早苗は俯いたまま答えない。しかし羞恥の表情は隠しようが無かった。それは中島の想像が正しい事を暗黙に肯定していた。驚きの声を上げたのは吉田だった。

「うそ、マジで?じゃあ、早苗ちゃんって、処女なの?」

 情趣の欠片もない単語が飛び出す。しかし早苗は黙り込んだままだ。もはや取り繕えない状況に頭の中は真っ白だった。体が小刻みに震えていた。

 一同が静まりかえる。

 谷村早苗は、正真正銘のバージンなのだ・・。

 黒坂たちは驚くと同時に不思議な感動も味わっていた。まだ誰も受け入れた事のない無垢な肉体が、蕩けるような甘い匂いを放ちながら、恥じらいに震えている・・そう考えると、むず痒い欲望が掻き立てられて来る。早苗に向かう視線が今まで以上に嗜虐的な色を帯びた。

 しかし当の早苗は、この状況がとても現実とは信じられないでいた。茫然自失のまま、魂が抜けたようにボンヤリ立っている。

 順子の声に気付いたのは、しばらく経ってからだった。

「・・ちゃん、早苗ちゃん」
「・・は、はい・・?」
「ほら、何ボーッとしてるの?ちゃんと自分の口で説明しなきゃダメでしょ?黙ってるなんて、お客様に対して失礼じゃない?」
「え・・?」

 言われた事が飲み込めない早苗に、順子が近づいてそっと耳打ちした。すると早苗の赤い顔が更に赤く染まった。

「今アドバイスした通りに自分の口で言いなさいね?何度も言うけどこれは研修なのよ。殻を破るのが目的なんだからね」
「そ、そんな・・」

 うろたえる早苗を置き去りに、順子は元の位置に戻った。男性メンバー達は、これから早苗が何を言おうとするのか興味津々に見つめている。

 何度も逡巡したものの、早苗一人がこの状況に逆らう事は不可能だった。見えない力に押し流されるように、早苗の口からたどたどしい台詞が零れ出した。

「た、ただいまの・・ご質問に、返答させていただきます。わ、私は・・男性・・経験が・・全く、あ、ありません。つまり・・」

 そこで言葉に詰まった。しかし誰も横槍を入れず、じっと聞き入っている。早苗は震えながら残りの台詞を口にした。

「・・つまり、私は、しょ、処女です。一度も、男の方と、セ・・セ・・セックスした経験がありません・・」

 それは息を呑むような瞬間だった。あの聡明な谷村早苗が、全員の見守る前で自ら処女告白をし、あまつさえ「セックス」という直接的な表現で、性交経験の無さをハッキリ認めたのだ。この決定的瞬間は当然、黒坂がビデオ撮影しており、もはや取り消す事など出来ない。

「なーんだ、早苗ちゃんって、仕事では立派なご高説をみんなの前で喋ってるけど、実は何にも知らないバージンだったのね。なんだか騙されちゃったわ。まあでも、これで自分の殻を破れて良かったじゃない?」

 順子の侮辱的な言葉に続いて、男性メンバー達も次々と野次を飛ばす。

「そうだよ早苗ちゃん!すごく良かったよ。感動した!」
「本当、最高だった。やっぱり早苗ちゃんはすごいよ。処女でも全然大丈夫だよ」
「そうやって恥ずかしがる所が、いかにも処女っぽくていいよね」

(イヤァ・・)

 屈辱的な言葉を次々に浴びせかけられ、早苗の全身はワナワナと震えた。今まで築き上げてきたプライドが地に落ち、女性としての尊厳も踏みにじられ、針のムシロと言う外なかった。

 しかしまだオリエンテーリングは続くのだ。順子は言った。

「じゃあ、ビジネス研修も一区切りついた事だし、ちょっと体を動かしてリフレッシュしましょうか?」

INDEX


inserted by FC2 system