新人研修合宿 オリエンテーリング(13) 提案


「すいません、ちょっといいですか?」

 折から沈黙を破ったのは、ずっと後方に控えていた中島である。早速ゲームを再開しようとしていた順子は、ワンテンポ遅れて振り返る。

「・・どうしたの?何か問題?」
「いえ。えーと、ジェスチャーを続けるのはいいんですけど、ぶっちゃけ、早苗ちゃんってこういうゲームは苦手な方だと思うんですよね。さっきの犬のジェスチャーも上手じゃなかったし」
「んー、それはまあ多少、不慣れかも知れないわね」

 漠然と順子は答える。中島が何を言わんとしているのかピンと来ていない表情である。

 すると中島は同調するように首肯いた。

「ですよね。早苗ちゃんは多分、ジェスチャーに不慣れなんですよ。だからこのまま同じ事を続けても、なかなか答えが出ないと思うんです。そうすると、答える側の俺達も焦れったいし、ジェスチャーし続ける早苗ちゃんも結構シンドイんじゃないかなー、と思って」
「まあ、そうかも知れないわね・・」

 順子は言葉を濁して相槌を打つ。つい先程まで一緒に面白がっていた割に、中島の発言は妙に中立的である。それがどこか腑に落ちなかった。

 一方、中島はマイペースに話を続ける。

「それで、差し出がましいと思うんですけど提案があるんです」
「・・提案?どんなこと?」
「はい、次のジェスチャーからは、俺と吉田もジェスチャー側に加わりたいんです」
「??・・それって、三人でジェスチャーするという事?」
「勿論、あくまで主役は早苗ちゃんですけど、俺達がサポートした方がもっと上手くジェスチャー出来ると思うんですよ。そうすれば、早苗ちゃんもやりやすいだろうし、俺達も焦れったくないし、ゲーム進行だって早くなると思うんです。どうしょうか?」

 話を素直に受け取れば「一石三鳥」とでも言える提案だった。一番の目的は早苗をフォローする事にあるらしい。中島がそれを言い出す不自然さを感じつつも、順子はあえて別の疑問を口にした。

「なるほどね。チームとして協力し合うのはいい事だわ。でも、三人全員がジェスチャー側に回ったら、誰が答えを当てるのかしら?ゲームとして成り立たないんじゃない?」
「それなんですけど、答えを当てるのは黒坂先輩にお願いしたいと思ってます。今のところ黒坂先輩は審判でもないですし、回答者をやる分には不都合が無いと思うんですが──」
「おお、いいよ。ずっと見てるのも暇だしね」

 黒坂が阿吽の呼吸で承諾した。事前に示し合わせた訳ではない。ビデオ撮影以外に手持ち無沙汰な黒坂にとって、中島の提案は渡りに船だったまでである。

 こうなれば、ことさら順子が反対する理由も無かった。むしろ中島が本気で早苗をフォローする気なのかと、事の成り行きに興味を抱いた風でもある。

 二人の表情を確認して、中島は話を進める。

「ではついでに、ジェスチャーのお題に関してなんですけど、テーマを限定しませんか?何でもかんでもお題になると、答える側はけっこう難しいんです。テーマが決まっていた方が良くないですか?」
「ふーん、じゃあ、そうしようぜ」

 再び深く考えるまでもなく、黒坂が賛同する。順子も異を唱える様子は無かった。

「えーとそれでは、さっきのお題は『犬がオシッコする姿』でしたよね?それに倣ってテーマは『動物』にしませんか?動物が何かしている姿を当てる、という事にすれば、かなり簡単ですよね?」
「動物ね。いいんじゃないの。俺は異議ないぜ」
「私も問題ないと思うわ。吉田くんも異論はなさそうね。早苗ちゃんもいいかしら?」

 突然名前を呼ばれた早苗は、体育座りのまま、おっかなびっくりに顔を上げた。

 先程のジェスチャーのせいで、一人、疲労に沈んでいたのである。中島たちの会話は耳で追っていた程度だったため、急に話を振られても直ぐには言葉が出て来ない。

 早苗の中で一つだけハッキリしている事は、どのようなジェスチャールールであろうと罰ゲームは避けねばならない、という事だ。仮に中島の提案どおりテーマが限定されれば、答えが出やすくなるのは間違いない。結果として罰ゲームの可能性は遠ざかるのだから、早苗にとって悪い提案とは思えなかった。

 吉田と中島のコンビがジェスチャーをサポートするという提案も、真面目にフォローしてもらえるならば決して悪い話ではない。多少、二人の不品行が気掛かりではあるが、罰ゲーム回避のためには、背に腹が変えられない部分もある。この窮状を打破するためには、思い切って決断する必要があった。

 いくぶん切羽詰った気持ちで、早苗は返答した。

「・・私も、大丈夫です・・」
「これで全員の意見が一致したわね。じゃあ中島くんの提案を盛り込んでゲームを再開しましょうか。まずは、新しいお題を書いてもらおうかな。前に書いてもらったお題が出尽くしたからね」

 決断も早々に、順子は新しいメモ用紙を吉田と中島に配布する。

 用紙を受け取った二人は、さっそく追加のお題をしたため始めた。さして考え込む様子を見せないのが、妙に用意周到な気配があった。間もなく順子の手元にメモ用紙が戻ると、早苗は気力を振り絞って立ち上がった。

 順子の前に進み出て、注意深くメモ用紙の裏側を見つめる。やがて左側のメモ用紙を抜き取った。運を天に任せる気持ちで紙を表返すと、そこには『犬の散歩』とだけ記されていた。

(え?・・また犬のジェスチャーをするの・・!?)

 困惑したのも無理からぬ事だった。ほんの数分前に犬のジェスチャーを演じたばかりなのだ。それも、大股開きの羞恥ポーズを全員の前でまざまざと晒したのである。お題は違えど、犬のジェスチャーであれば、再び四つん這いで尻を突き出して見せねばならない。早苗の顔からすっと血の気が引いた。

「どっちのお題を引いたの、早苗ちゃん?」

 何食わぬ顔で近づいて来た吉田に、早苗は恨みがましい口調で答える。

「・・い、犬の・・散歩です・・」
「ああ、俺が書いた方のお題ね」
「ど・・どうしてまた犬のジェスチャーを・・」
「えーと、俺と中島が犬の役をやるから、早苗ちゃんは飼い主の方をジェスチャーしてくれる?」

 不平を漏らしかけた早苗に、吉田は淡々と配役を言い渡した。その瞬間、早苗の表情はキョトンとしたものに変わる。一瞬静まり返った早苗に、吉田が重ねて確認した。

「飼い主の役が早苗ちゃんだからね。いいかな?」
「は、はい、大丈夫・・」

 慌てて早苗は首肯き返した。吉田はそれを見届けて、やはり淡々と中島の方へ向き直り、自分達のジェスチャーについて相談を始めた。取り残された早苗は、拍子抜けした顔つきである。

(・・なんだ、私が犬をジェスチャーする訳じゃないのね・・。よく考えてみれば、私をフォローするためにサポートしてくれるのだし、わざわざ私がジェスチャーし辛いお題を出すのも変よね・・)

 理路整然と自らの理屈に納得した。根が真面目なだけに、必要以上に他人を疑わないのが早苗の性格なのだ。安堵がてら気を取り直し、吉田と中島の会話が終わるのを、早苗は待った。

 やがて二人の相談が一区切りした所で、ジェスチャー開始を宣言する。

「では・・始めます」

 すぐさま吉田と中島が四つん這いになって、早苗の両脇に並んだ。大きく口を開いて舌を垂らし、ありきたりな犬の仕草をして見せる。飼い主役の早苗は、彼ら二人をペットに見立て、見えない首輪を手繰り寄せながら歩き出した。

 しばらく一方向へ歩き続けてクルリと踵を返し、逆方向に向かってまた、同じように散歩のジェスチャーを続ける。何しろお題が「犬の散歩」のため、他に付け加えるべき要素は何も無いのだ。

 演じている早苗自身、これが単調極まりないジェスチャーである事は自覚していた。しかし罰ゲームがかかっているため、簡単に打ち切る訳にも行かない。数メートル歩いては方向転換、という動作を延々と続けるしかなかった。

(難しく考えずに、見たままを答えて・・)

 祈るような気持ちで、早苗は時折、黒坂の様子を窺った。だが回答者の黒坂は、思案に暮れながら、目の前の動きを追っているだけである。いまだ答える気配は無い。いつか答えが出る筈・・と信じつつ、やけに鈍い反応が気がかりだった。

 しかし、そんな早苗の不安に付け入るように、思わぬ問題が降りかかる。

 ”二匹の犬”が、突如として早苗の周囲をグルグルと回り始めたのだ。犬が飼い主にジャレて駆け回る姿は珍しくもないため、最初、早苗はさして気に留めなかった。

 しかしその無邪気な遊戯の最中、早苗の目を盗むように手が延びて、剥き出しの太ももをサラリと撫でたのである。一瞬、偶然の接触にも思えたが、間を置かずに別方向からも手が延びて来た。今度は手の平をベタリと太ももに押し付けられた上、長々と撫で回される。早苗はたまらず、手の延びて来た方向を睨みつけた。

(ちょっと・・二人とも変な事はやめて!)

 すると不謹慎な手はすぐに引っ込んだが、”二匹の犬”はそ知らぬ顔で早苗の周囲を回り続けるだけだった。釈然としない気分のまま、早苗はいったん気を取り直して視線を上げた。

 その直後、また太ももに手が延びて、今度は股の内側へと侵入して来た。柔らかな餅肌の感触を愉しむ手つきは、股の付け根である秘奥を目指して延びて来る。痴漢のようなその手を、早苗は気色ばんで払い除け、手の延びて来た方向を強く睨んだ。視線の先にいた中島がサッと目を逸らす。

 だが続けざま、反対側から近づいた吉田が、餌にでもありつくように雪白の太ももをベロベロと舐め回した。唾液まじりの舌が這い回る気色悪さで、早苗は小さな悲鳴を漏らして、思わず一歩退いた。止むどころかエスカレートする痴漢行為に、怒りを抑えきれず、とうとう非難の声を上げる。

「ふ・・二人とも真面目にやって!変な事しないで!」

 サポートを期待していた筈が、これではまるで約束が違う、と言わんばかりに一喝した。しかし当の二人は、いったん走り回るのをやめて早苗を見上げると、心外そうに言い返した。

「何怒ってるの?普通に犬がする事やってるだけじゃん」
「そうそう。このジェスチャーが駄目って言われたら、犬のジェスチャーなんて出来ないでしょ。それってつまり、俺たちには犬のジェスチャーをやるなって事?」
「そっ・・そういう意味ではなくて・・」

 飛躍した論理に早苗は思わず口ごもる。そこへ二人は畳み掛けた。

「もういいや、だったら早苗ちゃんに犬の役をやってもらおうか」
「そうだな、早苗ちゃんは犬のジェスチャーにこだわりがあるみたいだし。それでいいよね?」

 さらに飛躍した話の展開に、早苗は気まずく言葉を失った。

 彼らの理屈がおかしいのは明らかだが、このままヘソを曲げられてしまうと、犬の役を放棄されてしまうだろう。入れ替わりに、自分が犬のジェスチャーをしなければならないのだ。当然、四つん這いで尻を突き出して、女性としての尊厳を失った姿を晒さねばならないのである。

 重苦しい沈黙を経て、早苗はポツリと呟いた。

「いえ・・このまま、続けます・・」
「え?俺たちが犬の役を続けるって事でいいの?」
「・・はい・・」
「あっそう。それなら、早苗ちゃんの希望でこのまま続けるけど、もう一々文句は言わないでよ?もし文句を言われたら、俺達はジェスチャー出来ないからね。分かった?」

 強い口調で念押しされ、早苗はしぶしぶ首肯き返す。二人の不謹慎な行為を咎めるどころか、かえって自分が譲歩する結末になったのだ。結果だけ見れば、理不尽としか思えなかった。

 一方、この結果に吉田と中島は調子づき、新たな行動に出始めた。

 ”二匹の犬”は鎖から解き放たれたように早苗の側を離れ、ジェスチャースペースを右へ左へと徘徊し始めたのだ。何か目的がある訳ではなく、お題通りにジェスチャーする事を放棄した態度としか見えない。規律もなく歩き回る姿は、散歩中のペットと言うより野良犬に近く、飼い主役の早苗には一瞥もくれようとしなかった。

 これでは、そもそものジェスチャーが成り立たない。痴漢行為以上の悪ふざけだった。”二匹の犬”の存在は、サポートどころか、ジェスチャーの妨害者に等しい。

 とはいえ、頭ごなしに文句を言う訳にも行かなかった。彼らが犬の役を続ける事を早苗自身が承諾したばかりである。途方に暮れた早苗は、あてどない視線を前方に向けた。

 正面に座ってジェスチャーをじっと見つめる黒坂は、相変わらず答える気配がない。このまま答えが出ないのは論外だが、破綻したジェスチャーから見当外れの答えが導かれる事も、危惧せねばならない事態なのだ。ともかく、一刻も早く正常なジェスチャーへと戻さねばならなかった。

(何とかしないと・・)

 思うに任せぬ状況の中で、焦りだけがいやましに膨らんで行く。

 その時、唐突に臀部を強い力で掴まれて、早苗の思考は吹き飛んだ。

 いつの間にか足元に近付いていた吉田が、タオルの下から臀部を鷲掴みにしたのである。動揺した早苗が振り返る合間に、吉田はタオルの中へ頭ごと突っ込んだ。まるで女性のスカートの中に潜り込んだような格好で、早苗の生尻をチロチロと舌で舐め回したかと思うと、閉じ合わさった尻の割れ目にまで舌を這い入れようとして来た。

(・・いやっ!なにするの・・!!)

 あまりの変質的な行為に、慌てて吉田を振り払おうとしたが、強引にすがり付かれて身動きできない。やがて、鳥肌の立つ気色悪さに耐え切れず、よろけて地面に座り込んだ。

 その瞬間、吉田はあっさりと身を引いたが、入れ替わりに中島が前方から襲い掛かって来た。舌をダラリと垂らした中島は、一直線に早苗の顔へと迫って来る。顔面を舐め回す気なのだ。早苗は息つく暇なく、無我夢中で両手をかざしてブロックした。”二匹の犬”の絶え間ない襲撃に、早苗はすっかり翻弄されていた。

 しかし”二匹の犬”は闇雲に襲い掛かっている訳ではない。ある機会を狙って、交互に襲撃を繰り返しているのである。その本来の目的に取り掛かるべく、吉田が背後から近づいて行く。

 吉田も今度ばかりは、拙速に襲い掛かろうとしない。音もなく早苗の真後ろまで接近すると、首の裏側に結ばれているブラ紐をそっと口に咥えた。ゆっくりとその紐を引っ張り、結び目をほどいて行く。間もなく結び目が消え去り、二本の紐が襟首に垂れ下がった。

 早苗が装着しているブラジャーは、襟首と背中の二箇所を紐で結ぶ水着のようなタイプである。その一方をほどき去った後、続けて吉田は、背中側のブラ紐を口に咥えた。今度はじりじりと後ずさりを始めた。

 その異変に早苗が気付いたのは、中島の襲撃に必死で耐えている最中の事だった。

 折しも胸元の締め付けが薄らいだ気がして、何気なく自分の上半身をかえりみた。すぐさま気付いたのは、ブラ紐が緩んでブラジャー全体がズレ落ちそうになっている事だった。さらにはブラジャーそのものが、不自然に背中側へと引っ張られている事にも気付く。

(え?・・ど、どういう事?)

 戸惑うさなかにも、ブラジャーは容赦なく背中側へと引き抜かれて行く。考えるより先に早苗はブラジャーを引き留めにかかった。だが慌ただしく延ばした手は、むなしく空を掴む。一足先にブラジャーは背中側へ抜き取られ、雪のように白い乳房が生まれたままの姿を晒け出した。その先端に色づく桜色の突起も、小ぶりで清楚な形を惜しげもなく露わにする。

「へえー、早苗ちゃんの乳首って色が薄いんだね。いかにも清純って感じだなあ」
「キャッ!!」

 胸元を凝視する中島の声に、早苗の頭の中は真っ白に消し飛んだ。

 咄嗟に身をかがめて両腕を交差させる。一瞬で耳の先まで紅潮し、羞恥の熱に全身が焦がされるようだった。急いで身体を反転させて後ろを振り向き、ブラジャーの行方を捜した。突発的な事故で地面に落下したものと思い込んだのだ。

 しかし視線を左右させ、明らかな狼狽を顔に浮かべた。どこにもブラジャーが見当たらないのだ。と同時に、数メートル後方で控えている吉田の存在に気付く。あっけらかんと吉田が口に咥えているのは、他でもない早苗のブラジャーである。

「吉田くん!返して!」

 左腕一本で乳房を抱え直し、早苗は敢然と立ち上がった。これが吉田の仕業だとしても、今は口先で非難している場合では無い。一刻も早くブラジャーを取り戻さねばならなかった。逸る気持ちで、早苗は吉田へと向かって行く。

 すぐに手の届く距離まで間合いが詰まり、早苗はせっかちにブラジャーへと手を伸ばす。

 その瞬間、吉田は身を翻して、早苗の手をかわした。そのまま大きな円弧を描いて走り出し、逆方向へ逃げ去って行く。唖然とした早苗は、しばし立ち竦んだ。

(ちょ、ちょっと・・何のつもり!?)

 憤然と踵を返し、再び吉田を目指して歩き出す。今度こそブラジャーを取り返すつもりだった。しかしそれを機に始まったのは、安物のコメディーのような遣り取りである。

 焦りに駆られた早苗が追いかけ、吉田は余裕をチラつかせて逃げ回る。一旦は追いつきかけるが、ギリギリのタイミングで身をかわされ、再び追いかけっこが振り出しに戻る。その遣り取りを延々と繰り返した。オチの決まった寸劇を見せられているようで、早苗が真剣味を増すほど、傍目には滑稽きわまりなかった。

「早苗ちゃん、もっと速く走らないと捕まえられないわよ。頑張って!」
「両手を振って全力疾走した方がいいんじゃないかなあ。オッパイ丸出しにしちゃえば?」
「ご自慢のDカップなんだし、勿体ぶらないで見せちゃえばいいのよねえ」

 順子と黒坂が面白がって囃し立てる。その無責任な野次を背に浴びながら、早苗は額に汗して滑稽な追いかけっこを続けるしかなかった。

 しかし間もなく、早苗の苦心が実を結ぶ時がやって来る。逃走を企てようとした吉田をついに捕えたのだ。この悪戯に飽きた吉田が手を抜いた為でもあったが、ともかく早苗は、吉田の逃走経路に立ちはだかり、ブラジャーの一端を自分の手で握り締めた。

(やった・・)

 すぐさま、握り締めた手を自分の側へと引き寄せる。しかしブラジャーは空中にピンと帆を張って動かなかった。吉田が一方の端を咥えたままなのだ。

「も・・もう冗談は終わりにしましょう。・・ね?」

 諭すように囁きかけたが、吉田は馬鹿の一つ覚えで力を緩めようとしなかった。そのしつこさに閉口し、もどかしげに早苗は唇を噛む。気が焦るばかりで次の対処方法が思いつかず、膠着状態に陥りかける。その時だった。唐突に横から飛び出した中島が、宙吊り状態のブラジャーの真ん中に食いついた。

(え!?ちょっと、何するの!)

 呆気に取られた早苗を無視して、ブラジャーを咥えた中島が後ずさりを始めた。吉田も呼応して別方向へと後ずさりを始める。二人の行為に対し、せっかく手にしたブラジャーを奪われまいと、早苗も腕の力を強めた。傍から見れば三人で綱引きをするような姿となった。

 ブラジャーが軋んだ音を立てたのは、その直後である。

 水着タイプの紐ブラジャーのため、ワイヤーで補強されている訳ではないのだ。無理に負荷をかければ簡単に破損してしまうだろう。その事に気付いて、早苗は思わず手の力を緩めた。しかし吉田と中島は全力でブラジャーを引っ張り続けている。再びブラジャーが耳障りな音を鳴らした。

「だ、だめっ・・!」

 慌てて制止するが、吉田たちはブラジャーを引っ張るのを止めなかった。続いて、どこかの接着面が剥がれる音がした。中島が噛み付いている胸当て部分にも裂け目が生じ、みるみる縦方向に広がって行く。次の瞬間、全体の布地から胸当て部分だけが、鈍い音を立てて引きちぎられた。

 毟り取ったブラジャーの断片を、中島がようやく口から吐き出す。吉田も、原型を留めないブラジャーを地面に放り出した。

 無残なボロ切れと化した唯一の下着を、早苗は呆然と見つめた。

INDEX


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