新人研修合宿 オリエンテーリング(14) 代用品


(嘘・・こんな事・・)

 ほんの数分前まで着用していたブラジャーが目の前に転がっている。ズタズタに引き裂かれ、生地の裂け目からほつれた糸が無数に飛び出して見えた。再び着用するのは不可能だろう。
 
 早苗は言葉が見つからず、胸元を押さえる腕を震わせた。とめどない失望が広がって行く。

「ごめん、早苗ちゃん。ブラジャーが破れちゃったね」
「ジェスチャーに熱が入りすぎたかもね。ドンマイ、早苗ちゃん」

 散々ジェスチャーを混乱させた吉田と中島がようやく四つん這いを止めて立ち上がった。膝についた砂粒を払い除けて、ストレッチ風に小さく背伸びをする。少しも悪びれる様子はなく、鼻歌でも歌っているかのようである。

 その時、タイミング良く順子が口を開いた。

「黒坂くん、答えは分かった?」
「えーと、『女の子が野良犬に襲われる所』とか?」

 黒坂が呟くと、中島は両腕を交差させてバツ印を作った。

「うーん、惜しい。犬という動物は合ってるんですけど。野良犬ではなくて・・」
「おっと、野良犬じゃないという事は・・」

 黒坂が再び口を開きかけると、即座に順子が制止した。

「はい、そこまで。答えられるのは一回だけよ。中島くん、正しい答えを教えてちょうだい」
「あ、ハイ。正解は『犬の散歩』です」
「それが答え?なんだ、あのジェスチャーでは思いつかないなあ」
「確かに今のジェスチャーは分かりにくかったわね。仕方ないから、次のジェスチャーに期待しましょうか」

 それだけ言って、順子は次のメモ用紙を早苗に差し出した。答え合わせに要した時間はものの数秒に過ぎないだろう。あまりに性急なゲーム進行に驚き、早苗は顔色を変えた。

(えっ・・そんな・・)

 愕然とするのも無理はない。数分に渡って走り回った苦労が全て無駄骨に終わったのである。吉田たちの悪戯に耐えた甲斐も虚しく、ブラジャーを失った分だけ状況は悪化したとさえ言える。自らの努力を全否定されたようで、早苗は酷い落胆を覚えた。

 しかし休む暇も与えず、順子は次のジェスチャーを要求している。気持ちの整理もつかないまま、早苗は上ずった声を漏らした。

「あ、あの・・待って下さい・・こんな状態では、ジェスチャーは・・」
「え?こんな状態ってどういう事?」
「つまり・・ブラジャーが破れてしまって・・」
「ええ、見てたわよ。あれもジェスチャーの一部でしょ?三人で打ち合わせてやったんじゃないの?」
「!?・・違います!!」

 ピントのずれた解釈に、早苗は慌てて首を振った。しかし順子は冷めたトーンで言い返す。

「でも結局は、成り行きでそうなった訳でしょ?不可抗力もひっくるめてジェスチャーなんだから仕方ないじゃないの。それにブラを着けてなくたってジェスチャーは出来る訳だし」
「そうそう、不可抗力、不可抗力。仕方ないよ」
「そのままオッパイ丸出しで続けようよ。全然大丈夫だって」

 半笑いで吉田と中島が付け足すと、早苗はムッと二人を睨みつけた。

(ちょっと、無責任な事を言わないで!!誰のせいでこんな事になったと思ってるの!?)

 怒りの気持ちを堪え、ノド元の台詞を呑み込んだ。今は彼らにかかずらわっている場合ではないのだ。先に順子を説き伏せなければ、本当にこのままジェスチャーを続行する羽目になる。

 いざ順子に向き直って話を切り出そうとする。しかし理路整然とした反論がすぐに浮かばなかった。予期せぬ出来事の連続で、まだ思考が混乱しているのだ。

 すると勿体ぶったい調子で順子がぽつりと呟いた。

「でもまあ、さっきのジェスチャーが今一つだったのは、吉田くんたちの演技がやり過ぎだったせいもあるわよね。不可抗力とはいえ早苗ちゃんだけがデメリットを蒙るのは、ちょっと可哀相かも」
「は、はい・・」
「要するに、ブラの代わりになるものがあればいいのよね?そうすればジェスチャーを続けられる?」

 率直に問い掛けられ、早苗は少し考え込んだ。そしてゆっくりと頷く。
 
 本音としてはこれ以上ジェスチャーを続けたくはなかった。しかし今ジェスチャーを放棄すれば、罰ゲームが待っているだけだろう。ブラジャーの代用品と引き換えにならば、この点は甘受せざるを得なかった。

 順子はおもむろにリュックサックを手繰り寄せ、中身を探り始めた。その様子を早苗は注視する。スペアのブラジャーが存在するとは思えないが、長めのタオルでも構わなかった。胸部が隠れさえすれば贅沢を言える状況ではない。

 しかし順子がリュックから取り出した物に、早苗の期待は裏切られた。

 順子の手には、ひと巻きのガムテープが握られていた。みるみる早苗の顔色が変わる。

「これを貼り付ければいいわよね。早速、貼りましょうか──」
「ちょ、ちょっと待って下さい、これは・・」
「だってこれ以外に使える物が無いんだもの。大事な部分が隠せればいいんでしょ?だったらこれでいいじゃない。下半身だってこれで応急処置したんだし」
「で、でも・・。それならせめて、上にタオルか何か羽織るものを・・」
「だからあ、話をちゃんと聞いてる?他に使える物は何も無いんだってば。タオルを巻きたいなら、いま腰に巻いてる奴を胸の方に巻きつけたらいいでしょ」

 順子は面倒臭そうに早苗の下半身を指差す。
 
 そこには勿論、一枚の手拭いタオルがパレオのように腰に巻きついている。しかしこれを胸に移動させれば、当然下半身が丸見えになってしまうだろう。それでは全く意味が無いのだ。早苗は閉口したが、構わず順子は続けた。

「ガムテープが嫌ならその格好のままジェスチャーしても構わないわよ。ブラの代用品は用意してあげたんだから、どうするかは早苗ちゃんが決めてちょうだい」

 これ以上は耳を貸す気はない、という口調で、順子は冷淡に早苗を突き放した。
 
 唐突に早苗は決断を迫られる。

(そんな・・)

 もし上半身にベタベタとガムテープを貼り付ければ、最低限、肌は隠れるかも知れない。しかし女性としての尊厳を保つ事は出来ないだろう。自分のみずぼらしい姿を想像し、ただでさえ傷ついている早苗のプライドはさらに痛みを覚えた。
 
 だが、他に羽織る物さえ無いのだから、全裸のままでいる訳にも行かない。そう考えれば最初から結論は見えているのだ。惨めな気分で早苗は呟いた。

「・・ガ、ガムテープを・・貼ります・・」
「あらそう。用意した甲斐があって良かったわ。じゃあこっちに来て」

 順子はせっかちに早苗の手を引っ張り、明後日の方向へ歩き出した。
 
 恐らくは場所を移動し、男性陣の目が届かない場所でガムテープを貼る積もりなのだろう。早苗は黙って後を付いて行く。気落ちする早苗にとって、順子の配慮は僅かな救いに感じられた──。



 順子と早苗が立ち去った後、男性陣は退屈そうに立ち話を続けていた。もし順子がガムテープを持ち出さなければ、早苗の一糸まとわぬ乳房を拝めたかも知れないのだ。彼らにとっては、あと一歩の所で肩透かしを食った気分なのである。揃って気の抜けた表情なのも、由のない事ではない。
 
 しかし彼らの退屈もそう長くは続かなかった。
 
 距離の離れた物陰を出て、先に戻って来たのは順子だった。少し遅れて早苗も後を追って来る。早苗は相変わらず両腕で胸を隠しており、数分前と何も変わっていないように見えた。
 
 黒坂たちは立ち話を止めて、遠まきにその様子を見つめた。

「待って下さい、やっぱり・・」

 早苗が落ち着きのない声で呼びかけるが、順子は振り向きもせず、黙々と先へ歩いて行く。どこか妙な雰囲気を感じて、見守る黒坂たちは小首を傾げた。
 
 やがて順子は一足先に黒坂たちと合流し、初めて早苗の方を振り返った。
 
「もう一度言うけど、ガムテープには限りがあるのよ。今後のオリエンテーリングで必要になるかも知れないから、ここで沢山使う訳には行かないの」
「し、しかし・・」
「何度も言わせないで。これはオリエンテーリングなんだから、たった一人の都合で全員に迷惑はかけられないの。いい加減、チームワークについて学んでちょうだい」

 思いのほか厳しく叱られ、早苗は居心地悪そうに口を噤む。

 男性陣はしばらく浮かない顔で眺めていたが、やがて早苗が狼狽する理由を察知した。よくよく見れば、順子が握っているガムテープの残量は殆んど変わっていない。もし上半身をガムテープで隠すなら、それなりの量が減っている筈である。しかしその形跡は全く見当たらなかった。
 
 それが意味する所に気付き、男性陣の口元が意地悪そうに綻んで行く。
 
 彼らの期待を後押しするように、順子が続けた。

「大体、いつまでそうやって胸を押さえてる気?ブラジャーの代わりがあればジェスチャーを続ける、と約束したのは早苗ちゃんよね?」
「は、はい・・でも、それは・・」
「でもじゃないでしょ。社会人なんだから、自分が口にした約束はキチンと守るのが当たり前よ。そんな体勢でどうやってジェスチャーする積もり?ちゃんと両腕を下ろして、気をつけをしなさい」

 今までにない強い命令口調に、早苗の表情が凍りついた。しばらく順子と顔を見合わせていたが、やがて口惜しそうにうなだれ、胸の前で交差させていた腕を解き始める。
 
 黒坂たちは口元を緩ませ、その姿にまじまじと見入った。

 両腕の締め付けから解放されたバストが、たわわに成長した姿を晒け出す。白く透き通る胸元から前方に迫り出した二つの膨らみは、自己申告の「Dカップ」が納得できる大きさである。そのまぶしい果実に全員の目が吸い寄せられた。

 しかし何より目を惹くのは、乳房の中心にだけ小ぢんまりとガムテープが貼られている事だった。ガムテープは指先ほどの大きさしかなく、市販のニプレスと較べても遥かに面積が小さい。そのため、ガムテープの上下から淡いピンク色が薄っすらとはみ出ていた。それが小ぶりな乳輪である事は、誰の目にも直ちに理解できる。

 早苗にとっては予想さえしなかった結果である。ガムテープを貼り付ける主導権を順子に握られ、気が付けばこの状態で置き去りにされたのだ。
 
 なし崩しの状況に、早苗は必死に表情を取り繕っている。自分自身のあられもない姿から目を逸らそうとしているのだ。しかし小さく漏れる羞恥の息遣いだけは隠しようがない。実際、誰が見ても、これではブラジャーの代わりになっていない。

「ほら、綺麗に貼れてるじゃない。問題ないわよ。みんな、どう思う?」

 順子に問われ、黒坂たちは白々しく受け答える。

「全然、大丈夫だと思います。変な感じはしないですね」
「そうそう、こういう衣装だと思えば特別どうって事ないし。むしろ動きやすくなって、ジェスチャーがやりやすいんじゃないですか」
「あ、そうだ。早苗ちゃんさ、ガムテープがしっかり貼れてるか不安なら、ここで少し身体を動かしてみたらどう?それを確認すれば、安心してジェスチャーを始められるんじゃない?」

 その提案に順子が頷いた。

「それもそうね。早苗ちゃん、その場で何回かジャンプしてみてくる?それでガムテープがズレたり剥がれたりしなければ、しっかり貼られてると確認できるしね」
「こ、ここで、ですか・・!?」
「当たり前でしょ。不安だって言ってたのは早苗ちゃんじゃない。みんなで確認して問題ない事をチェックするから、しっかり胸を張ってジャンプする事。私がいいと言うまで、止まったらダメだからね」

 早苗は不服そうに顔を強張らせたが、確認のためと言われれば断れなかった。一身に注目を浴びる恥ずかしさを堪えて、縄跳びでもするようにジャンプを始める。

 一回、二回と跳躍する早苗を、全員が固唾を呑んで見守った。彼らの視線はもちろん、胸元で揺れ動く乳房に釘付けである。早苗が飛び上がる度に少し遅れて跳ね上がり、着地すると柔らかに波打つ。見飽きる事のないストロークが何度も繰り返される。

 同時に、跳躍の度に下半身のタオルも捲くれ上がり、太ももが大きく露出した。むっちりと生白い肌が明るい陽光に照らされ、見る者の目を惹き付ける。

「まっ、まだですか・・」
「今チェックしてる最中よ。うーん、問題なさそうだけど、衝撃が加わったらどうなるか分からないわね。吉田くん、中島くん、ちょといい?」

 二人を手招きした順子が、彼らの耳元に二言三言を囁く。
 
 すると吉田たちはジャンプする早苗の左右にそそくさと移動した。向かって早苗の左側に吉田、右側に中島、という立ち位置である。

「これから、胸が何かにぶつかっても問題ないか確認するからね。吉田くんと中島くんは手の平を早苗ちゃんに近づけてみて。早苗ちゃんはそのままジャンプを止めちゃダメよ」

 指示通りに吉田たちは、各々の手を早苗の胸元へ差し出した。すると上下に躍動する乳房が手の平にぶつかり、反射的にプルンと揺れ動いた。そのまま繰り返し手の平とぶつかり、プルンプルンと不安定に揺れ続ける。熟れた果実が艶かしく踊る、扇情的な光景だった。
 
(もう・・イヤ・・)

 触れられたくない部位を弄ばれる事に、早苗の顔が嫌悪感に歪む。しかも、吉田と中島は手の平を上向きにして、ことさら乳房に手を押し付けて来ている。一刻も早く、このチェックが終わる事を祈るしかなかった。

「大丈夫そうね。あと10回ジャンプしたら終わりにしましょう」

 順子がようやく終わりを仄めかした。早苗の顔に明るさが戻りかけるが、その時点から吉田と中島は、自分達の行為をエスカレートさせた。手の平の位置をさらに高く上げたのだ。

 今まではジャンプ中に手の平がぶつかるだけだったが、手の位置が高くなった事で、最初から手の平で乳房を持ち上げるような格好となった。乳房の下半分と手の平が完全に密着している。その上、二人は乳房をやんわりと掴み上げ、マッサージを施すような手つきで揉み始めた。

「ちょ・・ちょっと、吉田くん、中島くん!何を・・」
「どうしたの?ぶつかる衝撃の外にも、ゆっくり伝わる衝撃も確認しないとダメでしょ。そのためのチェックだよ」
「そ、そんな必要・・」
「ほら、早苗ちゃんはジャンプに集中しなさい。途中で止めたら今までの確認の意味が無くなるわ。最初からこの確認をやり直すわよ?」

 毅然とした順子の言葉に、早苗は顔を引きつらせながら、抗議の台詞を呑み込んだ。こうなれば黙ってジャンプを続けるしかなかった。左右から伸びる手に遠慮なく乳房を揉みしだかれながら、頭の中で必死に残り回数をカウントする。たった十回が永遠に感じられる、拷問のような時間だった。
 
「はい終わりー」

 ようやく10回のジャンプをやり遂げると、吉田と中島はあっさりと手を引いた。早苗は逃げるようにその場にしゃがみこむ。たっぷりと揉まれた乳房には、まだ手の感触が残っており、消しがたい屈辱を早苗に刻み付けた。

「確認はオーケーね。早苗ちゃんも問題ないわよね?それともまだ確認する?」
「い、いえ・・もう、大丈夫です・・」

 慌てて早苗は首を振った。こんな確認を続けるぐらいなら、さっさとジェスチャーを再開した方がマシだった。

「じゃあこれ、次のジェスチャーのお題。よろしくね」

(今度こそ・・答えが出るように頑張らなきゃ・・)

 差し出されたメモ用紙を受け取り、早苗は自分に言い聞かせる。決意を新たにしてメモ用紙を表返すと、そこには『ロデオで暴れ回る牛』と記されていた。

INDEX


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